ゼミで発表した「群蝶の木」論を転載します。僕が思うに、現代の小説家の中で最もスリリングな一人に目取真俊の名を挙げることができると思います。

この論が今後の、沖縄文学を、いや沖縄、日本を考える上で自分のきっかけとすることを心に決め、公開します。

目取真俊「群蝶の木」論


0、 初出
『週刊朝日別冊小説トリッパー』2000夏季号

1、 テキスト
『群蝶の木』朝日新聞社 2001年4月1日発行

2、 テーマ
「群蝶の木」の作品世界から、目取真が描く沖縄、沖縄戦を読み解く。

3、 検証方法
作品分析を中心に検証する
・はじめに
・「群蝶の木」にみる部落(しま)―共同体という視点から
・対談にみる「群蝶の木」の共同体
・ゴゼイについて
・戦争という記憶と風景描写

はじめに
「群蝶の木」の主題は沖縄国際大学教授である大野隆之氏が指摘するように「戦争の記憶の継承」(※1)である。しかしながら、「群蝶の木」は多声的なテーマを孕み、沖縄共同体の消失の表象があると考察した。よって「共同体の消失」に重点を置き、作品分析を中心に検証していく。
この作品の手法は義明とゴゼイの語りを中心に物語が進められる。現代の沖縄を生きる視点として義明、戦争体験の中に生きるゴゼイという構成になっている。また、ゴゼイの存在と昭生という男は誰か徐々にゴゼイの視点から謎が明らかになっていく。ただ、この物語の不可解な点として、友人Tの死の原因が明確でないことが挙げられる。まずは、『群蝶の木』における部落(しま)を共同体という視点から友人Tの死とともに分析し、順を追ってゴゼイについて見ていく。


「群蝶の木」にみる部落(しま)―共同体という視点から
物語は、

「部落(しま)の豊年祭は四年に一度、オリンピックの年行われる。」(P169)

と、部落(しま)の伝統的な豊年祭の詳述から始まる。この、「オリンピック」を基準として豊年祭が行われる年が説明されるのは、本文を読み進めていくとわかるように、義明が既に部落(しま)を離れた存在であることを印象付ける構造となっている。さらに、義明の家は「御嶽前の拝所周辺の家」にあり、

「いつか、自分も棒術や踊りを演じることを希望し続けてきた」(P170)

のだが、その後大学を卒業してからは部落(しま)に戻ることはほとんどない。このような状況において、義明が豊年祭の時期に帰省したのは、Tという友人の告別式に出席するためであり、偶然であったとされる。ここで注目すべきは、

「豊年祭のこともすっかり忘れていた」(P170)

ことである。義明が忘れていた部落(しま)は兼城という部落(しま)に帰属しようとする存在から、もたらされる。そして、付随するイベントとして豊年祭が開催されていたとなる。
 Tは本土から二年前に帰ってきており、兼城は隣街のアパートに住んでいるが前回から豊年祭に参加している。それぞれ部落(しま)から一度は離れたが帰属している。義明も、

「三十歳を過ぎてから、生まれ育った島の音楽が自分の血の中にも流れていることを自覚させられていた。二十代の頃は見向きもしなかったテレビの郷土番組で流れている琉舞や沖縄芝居を見たり、琉球民謡のカセットやCDを買って聴くようになっていた。」(P182)

と、帰属意識が窺える。
しかし、義明にとってTの死をきっかけに戻ってきた部落(しま)という共同体はすでに子どもの頃、棒術や踊りを演じることを望んでいた場所ではない。それは、

「子供の頃は、御嶽の松の大木の枝に腰をおろして、祭りの様子を眺めている赤い髪をした精魔という木の精の姿が見えるような気がしたが、今はそういう記憶をなつかしく思うだけだった。」(P181)

という部分や、その他の整備された公園、豊年祭における舞台裏の状況、獅子を冷静に見つめる描写は、義明が子どものころに抱いていた祭りや祈願の神秘性が消失したことを表している。これは、単に大人になり、現実的なものの見方をするようになったというだけではない。部落(しま)から離れた者たちが戻ってくる際に生じる客観的な視点であり、帰属しながらも新しい価値観で部落(しま)をまなざしていることが窺える。兼城はTが死んだことを話す場面で、

「落ち込んだのは落ち込んだんだけどな……。いや、本当のこというと、そんなに落ち込みはしなかったわけさな、そのことが何かな、かえって引っ掛かってな……(中略)この地域に生まれ育って、この歳になったものにはな、(中略)何か共通するものが俺にもお前にも、いや、お前のことは分からんけど、何かあるような気がしてな……」(P188)

さらに、その後に続く義明の、

「Tを死に導いたのと同じ何かが自分の中にもあって、それが固い腫瘍のようにはっきりと形作り、自覚できる大きさまでもうすぐ成長しようとしている。兼城の電話でTの死を知った時感じた痛みは、そのことを突きつけられたせいではなかったか。」(P188)

つまり、「共通するもの」「死に導いたのと同じ何か」とは、一度、部落(しま)を離れ、回帰してくることで見える「どこかに帰属していないといる場所がないといった消極的なもの」(P171)の実感であり、神秘性を失い、現実に向かう義明や兼城の不安定な心情の表れである。よって、帰属の消失と捉えることができる。ここでいう「現実」は、目取真の対談を読み解きながら見ていく。

対談にみる「群蝶の木」の共同体
「群蝶の木」における「豊年祭」のあり方は、目取真が捉える「沖縄共同体」の変容が表出している。目取真は「群蝶の木」が発表される直前の『論座 2000.7月号』(200年6月5日発売)の大江健三郎との対談で、

「私は「場所」の力、空間の持っている力を強く意識する人間です。地形とか植生とか、匂い、飛んでいる蝶の姿、そういったものから触発されるイマジネーションがかなり強い。カミンチュの女性が祭りの空間に足を踏み入れた瞬間に、その人は日常的な属性を背負った女性ではなくなり、神の空間に一歩足を踏み入れていくような体感を得ているだろうと思います。それを自分自身でも表現したい。(中略)しかし、こうした聖なる空間が、いま大きな変容にさらされています。(中略)祭りの場が徐々に崩れ、揺らいでいる。」(※2)

と発言している。この発言の表象が、「群蝶の木」の中にある。
 具体的に見ていくと、
道連ねーでの
① ポップス調にアレンジされた新民謡
② 南洋踊り
③ 真面目なフォークダンス
豊年祭では、
④ さらに公民館を建てるための拝み事行う場所の変更に伴うカミンチュの生命保険加入
⑤「まだみんなこんなに関心を持っているのかと、少し意外だった。」という本文
⑥二百年近く生きた老人の五穀豊穣の祈願のあと、老女達が一緒に祈りの言葉をつぶやき、子供達も真似する場面で、若い親達が笑う場面が挙げられる。

これらの、道連ねーと豊年祭の様子は義明が二十年振りに見た聖なる空間の破壊と近代文化が浸透したことによる変容を表現したものだが、特に②の南洋踊りと③のフォークダンスは注目すべ点である。②の南洋踊りは、

「体に墨を塗った中年の男達が腰蓑をつけ、青い椰子の葉で頭に飾り、槍を持って不器用に踊っている姿に、沿道の老人や中学生が笑い転げている。那覇でやったら差別問題で叩かれるな、と、思いながら、それでもあまりの異様さに笑わずにはおれなかった。」(P172)

とある。注目すべきは「老人」と「中学生」が同時に笑う場面だ。これは、西洋の東洋へ対するまなざし、つまりオリエンタリズムが内面化し、まなざされてきた沖縄から、原始的な南洋民族を好奇なものとしてまなざす視点を指摘している。また、二重構造として「那覇でやったら差別問題」になることを危惧しながら、義明自身も嘲笑している。つまり、那覇という既に近代化し、共同体の消失が進行する都市と、未だ伝統的な風習を残す部落(しま)を対比させ、那覇から部落(しま)へのまなざしがあるといえる。那覇では問題になり、部落(しま)では問題にならない、という文化意識が働いている。続けて③のフォースダンスを見ていくと、

「黒ズボンに白いYシャツ姿で、やけにまじめにフォークダンスを踊っている。ふだんは農作業をしているような色黒の中年の男と女達が、神妙な顔で踊っているのも、やはり異様だった。」(P173)

とあり、ここでいうフォークダンスの異様さは「やはり」と結ばれ、先に述べた「南洋踊り」と相対関係にある。つまり、西洋的なフォークダンスは、その価値観が沖縄において身体化しているといえる。義明はこれらの様子に違和感を抱くが、その様子をただ傍観する以外の術がなく、先に述べた「現実」を目の当たりにしたといえる。大江との対談における、

「西洋的なまなざしからは見えない、容認できないような現象を表現していく場合に、ある仮空の場所を設定し、そこで起こったことはすべて現実なんだと受け止める方法がある。そこから表現が出発していく。」(※2)

という発言から、義明は既に那覇に住み、西洋的なまなざしを持って、「差別問題になる」と南洋踊りを傍観する。さらに、部落(しま)から「南洋」をまなざし、嘲笑したと考えられる。これらのオリエンタリズムの複雑化した構造を虚構内に設定し、表現している。

その他の豊年祭の様子を細かく見ていくと、①ポップス調にアレンジされた新民謡は祭りの変容であり、⑥の二百年近く生きた老人の五穀豊穣の祈願のあと、老女達が一緒に祈りの言葉をつぶやき、子供達も真似し、若い親達が笑う場面と④のカミンチュの生命保険加入は神秘性の消失である。

ただ、目取真はこの「現実」を単に危惧しているだけではない。それは、大江との対談で、

「八十年代以降、沖縄の文化や生活の見直しが進み、若い世代にも肯定的に受け止められるようになりました。方言を使えない新しい世代が逆に、沖縄の面白さ、可能性を再発見した。祭りの中には、復興したものも衰退したものもありますが、若者の関心ははるかに強まっている。」(※2)

と語り、これは⑤「まだみんなこんなに関心を持っているのかと、少し意外だった。」(P180)という部分に表れている。しかし、再び大江との対談から、

「大きな流れの中で沖縄の人たちが主体性を持てない傾向も依然としてあります。沖縄の人がもっと主体的に文化や経済を想像することが問われている気がします。それは、本土の日本人にも問われていることです(中略)苦渋というのは本来そう望まない、そうせざるを得ないから生じる。そこには日本と沖縄の権力構造が露骨に表れているわけですよね。沖縄は主体性を発揮できず、力の目に屈せざるを得ない。(中略)権力構造を隠蔽する方向に、いろいろな力が働いている。」

とある。この「権力構造を隠蔽する力」が先に述べた『群蝶の木』における重層的なまなざしである。

ただ、『群蝶の木』で重点となるテーマは大野隆之氏の指摘するように「戦争の記憶」(※2)である。この「戦争の記憶」に重点が置かれ、先の「帰属の消失」と読む場合その二つのテーマの関連は、物語の後半部分でほとんどTについて語られることがなく、希薄である。そのため、友人Tの死について義明の「Tを死に導いたのと同じ何か」(本文P188)が明確に示されることはない。「帰属の消失」と読み解いたが、「Tを死に導いたのと同じ何か」(本文P188)を「戦争の記憶の継承」(※2)と関連させ考察すると、戦争を直接体験した次の世代の抱える苦悩と考える他はないだろう。その悲惨な「記憶」を父や母、祖母や祖父から聞くことができるのだが、近代化し戦争の記憶が風化する現実との隔たりの苦悩である。義明らが幼かった頃、ゴゼイの飼っている豚に悪さする場面で唯一、Tとゴゼイが繋がるが、そのTも記憶の中で作り上げられたものである。
 よって、「帰属の消失」と「戦争の記憶の継承」(※3)の困難がもたらす苦悩が「Tを死に導いたのと同じ何か」(本文P188)であると考えられる。 
ゴゼイについて
まず、義明の視点からゴゼイが登場する場面を細かく見ていく。
①道連ねーでフォークダンスが踊られる直後
②豊年祭における琉球古典舞踊の最中
③過去のゴゼイを義明が回想した直後
④③の直後義明の家にやってくる
⑤迷子になった時の回想

①では、道連ねーの最中に元々娼婦であったゴゼイが突如現れる。ゴゼイは狂乱し、警官に連れて行かれる最中、義明にショーセイと呼びかける。義明はそのことで祖母に聞いた「昭生」という男について思い出す。よって、ここから義明が語られた戦争の記憶を辿る構造になっている。フォークダンスの異様さから、すぐにゴゼイが現れるのは、その異様さの中から部落(しま)の抱えるゴゼイという問題を突如提起するためである。②では、芸能コンテストでグランプリを受賞するほどの踊り手が琉球古典舞踊を舞う中でのゴゼイが登場する。村の者が真剣に見入る古典舞踊と裸体で現れるゴゼイが対比され、ゴゼイは部落(しま)の人間に豊年祭から排除される。痴呆老人であるゴゼイは部落(しま)の者たちが作り上げた現代の豊年祭を破壊する存在として描かれる。ただ、このゴゼイという問題は部落(しま)自体から排除させられることはない。それは、部落(しま)の人間が抱えるゴゼイに対する後ろめたさからである。
 それは、義明にとっても例外ではなく、③、④、⑤において自らの悪さ、祖母や祖父のゴゼイに対する態度などから後ろめたさが継承されていると考えられる。
 特に②において、大野隆之氏が、

「彼女の言葉は「ショーセイ、助けてぃとらせ、兵隊の我ね連れてぃいくしが」というような、全く現実の文脈を無視したものであり、他者に了解されることはない。彼女こそまさに戦争の記憶そのものであるにも関わらず、先ほどまで「沖縄女工哀史」に涙していた者たちの手によって、強引に排除されてしまうのである。」(※1)

と指摘し、「決して継承され得ない記憶」としている。ここで、ゴゼイ=戦争の記憶、義明=継承するべき存在、と捉えることができる。①、②において、新たに生まれたフォークダンスという価値観と洗練された伝統的な踊りとゴゼイの晒す狂態との対比は、ゴゼイ(=戦争の記憶)は美化出来うる記憶ではなく、部落(しま)に根付き、簡単に排除できるようなものではない戦争の象徴である。その後、義明(=継承すべき存在)は、過去の文献を探り、内間という元区長を訪ねるのだが、

「潜んでいた洞窟に投げ込まれて、一緒にいた二十名以上の村人達はみな死んだのに、内間だけが生き残った。(中略)戦争中と戦後の収容所での生活の様子を執筆した、と自慢する。」

内間の状況があった。内間の記した「字史」には慰安婦やゴゼイに関する記録はなく、単声的な記述しかないといえる。つまり、記憶ではなく記録としての沖縄戦である。また、病院でゴゼイを訪ねる場面では、祖母の死を思い出し、変わり果てたゴゼイを目にした義明は、

「ゴゼイの目が薄く開いてこちらを見ているような気がする。戻って確かめようか、と思ったときには、わずかに感じた視線は消えている。」(P223)

とあり、消え行く戦争の記憶を継承することはない。


戦争という記憶と風景描写
ゴゼイの視点で描かれる場面では、風景描写が多用されている。これは目取真自身が先の対談でも明らかなように自然からのイマジネーション表現に重点を置いているためである。ゴゼイの視点で描かれる場面は一様に戦時中、戦後であり、昭生との記憶である。ゴゼイの記憶には、大和に対する、

「日本軍の将校達の腐った白烏賊のような体」「腐れ男(くされいきが)」(P221)

といったような大和を悪とする視点と、

「腑抜けと化した村人」「友軍に媚を売って助けてもらおうと思い、抜け目なく商売している村の連中など、みんな死に果てればいいと思う。」「村の女など、年寄りも子供も米兵に弄ばれてしまえばいい。」ども」「昭生の襟首をつかまえて、与那嶺という首里出身の将校が顔を殴りつける」「時として、忠誠心を示そうとしてか、スパイ容疑で捕られた沖縄の住民に対して、彼らがヤマトの兵隊以上に過酷な仕打ちをするのをゴゼイは知っていた。」(P221)

という、沖縄に対する憎しみがある。また昭生を

「自分と同じ気持ちを抱いている男」(P195)

とし、恋い慕うのだが、「自分などいつ死んでもいいと思う。」「自分が日本の兵隊達のそばにいることが後ろめたくて、一緒にいたい、という気持ちも萎えてしまう。」(P212)昭生が暴行される場面では、何もできずに傍観するなどの戦時中における「生きる」ことへの執着心やエゴイズムも読み取れる。

こういった多声的な視点を目取真はゴゼイに託している。つまり、小説内において義明へ継承できなかった戦争の記憶を目取真は読者に託している。ここで効果を挙げるのが風景描写である。

「回転する赤い光が川面を照らし、ユウナの木を染める。飛び立つこともなく萎れて落ちる黄色い蝶の群れ。そう言って笑ったのは、ヨシコだったのか、自分だったのか……。」(P202)

とあるユウナの木の描写は次第に、

「ゴゼイ、ゴゼイよ。遠くで昭生が呼んでいる。いや、すぐ近くだ。月の光が降り注ぎ、ユウナの木の黄色い蝶の群れは、今にも一斉に飛び立ちそうに見える。」(P223)

「ゴゼイ、ゴゼイよ。何を悔いる必要があるか。物思(むぬうむ)ゆるのも体も最後はユウナの木のそばの川のように、ねっとりと濁って混じり、この世のものすべて海で一つになるさ。てのひらから滴り、髪から滲み出し、太ももを伝い、目や耳から流れ、弛んだ細胞の一つ一つから珊瑚の産卵のように宙を舞っていくもの。その最後の塊が木のうろのような口から出てゆくと、蝶の形となって室内をゆったりと飛び、閉じた窓のガラスを抜けて、月明かりの空に舞っていく。」

という風に変化している。目取真は大江との対談で、

「蝶が飛んでいる様子が「あれは魂の姿なんだよ」というのも、自分の祖母の言葉」(※1)

と発言していることを踏まえると、蝶が最後に唯一現実の病院から舞っていく描写に、死者と戦争の記憶を継承するため、自然から見る人の「魂」に希望を託したといえる。それは、義明の視点で締めくくられる、父が先祖に対しての思い入れを抱いていること、珊瑚を立派な骨とし、名もない死者たちを弔う表現からも読み解くことができる。

引用文献
※1「オキナワの中年」
2000/09/04 新報文芸/大野隆之/目取真俊「群蝶の木」/排除された戦争の記憶/図式化できない゛暗部゛暴く」http://plaza.rakuten.co.jp/tohno/3008

※2『論座 2000.7月号』(200年6月5日発売)朝日新聞社発行
特別対談 大江健三郎VS目取真俊